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祖父江道印
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祖父江 道印 そふえ どういん | |
---|---|
名の由来 | |
性別 | 男性 |
時代 | 戦国時代 |
生年月日 | 不詳 |
生誕地 | 尾張・祖父江 |
没年月日 | 永禄2年(1559年) |
死没地 | 尾張・岩倉城 |
死因 | 戦死 |
国籍 |
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職業 | 山内氏・家臣 |
武器 | |
口癖 | |
名ゼリフ | |
補足 | Wikipediaでは没年が違うまま記載されている。 |
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祖父江 道印(そふえ どういん)は、戦国時代の武将。山内氏の家臣。
略歴[編集]
山内盛豊に仕えた。姓から尾張祖父江(現在の愛知県稲沢市)出身と見られている[1]。
盛豊に仕えて黒田城に詰めていた弘治3年(1557年)7月12日、織田信長軍の攻撃を受けて法秀院や山内一豊を守って岩倉城に逃れた[1]。Wikipediaではなぜかこの時に戦死したとされているが、これは間違いである。
永禄2年(1559年)、岩倉城が信長の攻撃を受けて落城した際に戦死した[1]。
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
- ↑ 以下の位置に戻る: a b c 小和田「山内一豊のすべて」P221
参考文献[編集]