碓井姫

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碓井姫(うすいひめ、享禄2年(1529年) - 慶長10年(1605年)10月)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての女性徳川家康の叔母に当たる。

生涯[編集]

父は松平清康。母は継室華陽院。兄に松平広忠。甥に徳川家康がいる。

名に関しては於久というが、読みに関しては「おく」あるいは「おひさ」のどちらかわかっていない。はじめ長沢松平氏の第7代・松平政忠に嫁いで長男の松平康忠を産んだ。しかし永禄3年(1560年)5月の桶狭間の戦い今川義元織田信長の前に敗死した際、政忠も戦死して碓井姫は未亡人となった。

永禄4年(1561年)、家康により重臣・酒井忠次の妻として再婚する。忠次との間には4男1女(酒井家次本多康俊ら)に恵まれている。ただ、長男の家次は永禄11年(1568年)生まれで、次男の康俊も永禄12年(1569年)生まれと、碓井姫は当時としてはかなりの高齢出産をしている。

忠次が豊臣秀吉の配慮で京都隠居した際、碓井姫が同行した形跡は無く、酒井氏の家督を継いだ家次の庇護下に置かれていたものと思われる。夫の死から9年後の慶長10年(1605年)10月、高崎城において77歳で死去した。法名は光樹院。