生実城
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生実城(おゆみじょう)とは、現在の千葉県千葉市中央区生実町にかつて存在した日本の城である。
概要[編集]
室町時代末期に千葉氏の家臣・原胤清が築城したと伝えられている。胤清の子である原胤栄は主家である千葉氏の実権を奪い、相模国の後北条氏と手を結んで一時は威勢を誇ったが、天正18年(1590年)の小田原征伐の際に後北条氏と共に豊臣秀吉に抵抗したため、原氏も滅亡した。
江戸時代になると寛永3年(1626年)、森川重俊に生実藩1万石の大名に封じられた際、生実城の一部を陣屋として利用した。以後、森川氏が13代にわたって支配し、明治維新に至った。
城跡の西側には曹洞宗重俊院があり、森川氏の第2代・森川重政が父で初代の重俊の菩提を弔って建立したものだが、重俊は江戸幕府老中として重職にあったが、寛永9年(1632年)に徳川秀忠の死去に伴って殉死している。