深心院
ナビゲーションに移動
検索に移動
深心院 しんしんいん | |||||||||||||||||||||||||||||
|
深心院(しんしんいん)は、江戸幕府の第8代将軍・徳川吉宗の側室で、徳川源三(夭折)、徳川宗尹(一橋徳川家初代当主)の母。俗名はお梅(おうめ)、お久(おひさ)。一橋徳川家第2代当主・徳川治済の祖母で、第11代将軍・徳川家斉の曽祖母である。
生涯[編集]
元禄17年(1704年)3月に和歌山城奥向きに奉公に上がり、吉宗の母・浄円院付きの女中として働き始めた[1]。
その後、紀州藩を継いだ吉宗の寵愛を受け、吉宗が8代将軍になると紀州藩邸から江戸城大奥に移り、享保4年(1719年)3月14日に源三(夭折)を産んだ。次いで享保6年(1721年)閏7月15日に宗尹を産んだが、同年10月7日(あるいは11月11日)に22歳で病没した。上野寛永寺凌雲院に埋葬された。戒名は深心院慈潭性水大姉[1]。
弟に谷口正乗がおり、姉の縁で享保18年(1733年)12月に招聘されて300俵を与えられて旗本となり、甥の宗尹付の家臣となる。その後、加増を受けて500石取りにまで栄進している[1]。