江戸時代中期
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江戸中期 寛延 - 天保
解体新書。江戸中期・1774年創刊。 | |
発生 | 1750年頃 |
終了 | 1840年頃 |
幕府指導者(将軍) | 徳川家重 徳川家治 徳川家斉 徳川家慶 |
国家主権者(天皇) | 110 後光明天皇 1643-1654 111 後西天皇 1654-1663 112 霊元天皇 1663-1687 113 東山天皇 1687-1709 114 中御門天皇 1709-1735 115 桜町天皇 1735-1747 116 桃園天皇 1747-1762 117 後桜町天皇 1762-1770 118 後桃園天皇 1770-1779 119 光格天皇 1779-1817 120 仁孝天皇1817-1846 |
発生地 | 江戸 |
江戸時代中期(えどじだいちゅうき)は、江戸時代の中頃のことである。葛飾北斎や山本嘉兵衛などの文化人が発達する中、大塩平八郎や徳川家斉などの政治関係者の暴動が高まり、伊能忠敬や杉田玄白・本居宣長などの文学者が江戸文学を確立させていった。
概要[編集]
1745年、将軍職を徳川家重に移した後に徳川吉宗が1751年に死去し、各地では名字帯刀が禁止された。家重の時代は特に禁止令や令状が多く出された時代で、1755年の飢饉で起こった農民一揆を鎮圧する為に令状を出した。この頃、平賀源内がエレキテルや火浣布を作成、薬草の展覧会を開いたりした。火浣布は石綿で作った燃えない特殊な布である。
それは一揆を起こすのを見たらこっそり町奉行に密告し、一揆を報告したら銀50両をあげるというもの。とても密告者には有利である。この頃にあったのが郡上一揆で、郡上八幡城の周辺で起こった。これをこの令状で鎮圧し、幕府の地位がさらに上がった。さらに徳川宗武により田安氏、徳川重好により清水氏、徳川宗尹により一橋氏がつくられ、徳川家の範囲も広がった。これが後の御三卿である。
徳川家重死後、将軍職は徳川家治が継いだ。家治は有力人物として田沼意次をスカウトした。意次は商業政策として銅や鉄、高麗人参などの幕府直営市場の設置や、貿易政策として金や銀の取引を強めたりもした。開発計画では印旛沼などの干拓を行うなどもした。この時には既に意次の世になっていた。
しかし家治の子・徳川家基が暗殺された事で家治はショック?の最中7年後に死んでしまった。