徳川重好

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徳川 重好(とくがわ しげよし、延享2年2月15日1745年3月17日) - 寛政7年7月8日1795年8月22日))は、徳川御三卿の一つ、清水徳川家の初代当主。清水 重好(しみず しげよし)とも言われる。

生涯[編集]

父は江戸幕府の第9代征夷大将軍である徳川家重で次男。母は側室のお遊の方(安祥院)。幼名は万次郎。第10代将軍・徳川家治は長兄である。正室は伏見宮貞建親王の娘・貞子女王。

宝暦3年(1753年)、父の命令で別家を興され、毎年賂料として3万俵を支給されるようになり、さらに江戸城清水門内に屋敷を構えることになった。清水門内に屋敷を構えたことから御三卿・清水徳川家の1家と見なされるようになった。

宝暦12年(1762年)に加増を受けて武蔵国などで10万石を知行した。

長兄の家治とは仲が良く、また数少ない近親者として大事にされていた。長兄の唯一の息子である徳川家基が死去すると、本来ならば弟である重好が家治に最も近い近親として後継者候補になるはずであったが、家治の養子に御三卿の徳川治済の長男・豊千代(のちの徳川家斉)が養子として入ることになると、重好はその埒外に置かれて第11代将軍を継ぐことなく終わった。

寛政4年(1792年)、従三位権中納言に叙任。

寛政7年(1795年)7月8日に死去した。享年51。子女は無く、一時的に清水徳川家は断絶。そして家重の血統も断絶した。