第2回エンペディア大賞」が2月いっぱい開催中です。2024年に作成された記事の中から、お気に入りの記事に投票しましょう!

伊能忠敬

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
記事をシェア:
X(旧Twitter)にシェアする
Threadsにシェアする
Facebookにシェアする
はてなブックマークにシェアする
LINEにシェアする
ナビゲーションに移動 検索に移動

伊能忠敬は、江戸時代の商人で、大日本沿海輿地全図を制作したことで知られる。

概要[編集]

才能を見込まれて伊能家の養子となり、地域興産に熱心でいくつも蔵をぶったて、息子も出来がよかったので五十代を過ぎてから「後は好きにやりたい」と家督を譲って江戸に出て、伊能家の財産をつぎ込んで(息子は「親父が稼いだものだから」と何も言わなかったらしい)江戸に天文台を建てたというやんちゃな人。

人間生活との関わり・利用[編集]

シーボルトが伊能図をコピーして持帰ったものをペリーが入手し、浦賀に寄港して測量をはじめ(けっこう失礼な話である)、どう測っても誤差が出ないので「これで陸上から砲撃されたら艦砲射撃では太刀打ちできん」というので逃げかえったというエピソードがある[1]。じつは日本には反射炉が二つくらいしかマトモに稼働していなかったのだが、木製のダミーを見て「こりゃいかん」と思ったらしい。
じつは当時の日本には高炉がなかった。原材料の鉄鋼がなかなかに入手困難だったのでパンとか焼いており、高島秋帆と江川太郎左衛門英龍(して「坦庵」)は「日本のパン祖」と言われている。

その他[編集]

脚注[編集]

  1. 当時の伊豆奉行が江川太郎左衛門だったので、そもそも相手が悪かった。

関連作品[編集]

関連項目[編集]

参考資料[編集]

外部サイト[編集]