武田次郎 (信豊の子)
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武田 次郎(たけだ じろう、? - 天正10年3月16日(1582年4月8日))は、戦国時代の武田家の一族。武田信豊の嫡男。諱は不明。
生涯[編集]
祖父は武田信繁。大伯父に武田信玄がいる。次郎の仮名は祖父の信繁が名乗っていたものなので、信豊から嫡子に擬せられていたと考えられる。
『甲陽軍鑑』によると、父の信豊は武田勝頼の時代に親族衆として力を振るっていたが、同じ親族衆の穴山信君とはそのためライバル関係にあり、信君の嫡子である勝千代が勝頼の娘と縁談話が持ち上がった際に、信豊は勝頼に賄賂を送ってこの縁談話を潰した上に、勝頼の娘(武田次郎正室)を次郎と結婚させて信君の面子を潰してしまったといわれている。
このこともあり、天正10年(1582年)から始められた織田信長による武田征伐の際、信君は徳川家康に寝返ることになる。『信長公記』によると、3月11日に勝頼が天目山で自刃した5日後の3月16日、信濃国小諸城代の下曾根浄喜の裏切りにあって、次郎は父の信豊と共に自刃したという。