横浜線の歴史

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
JR横浜線 > 横浜線の歴史
お馴染み緑と黄緑の爽やかな車両が走る横浜線。

横浜線の歴史(よこはませんのれきし)は、横浜鉄道によって建設され、国有化後に改良された「ハマ線」の愛称で親しまれる横浜線の歴史である。

東神奈川起点[編集]

JH 横浜線とは、東京都八王子市八王子駅から神奈川県横浜市神奈川区東神奈川駅までを結ぶ全長42.6kmの路線である。ところで、横浜線の起点駅は東神奈川駅であり横浜駅ではない。根岸線直通電車以外は横浜駅に行かないため詐欺路線と呼ばれることも多いが、なぜ東神奈川が起点駅として選ばれたのだろうか。

横浜と生糸[編集]

日本初の鉄道が開業した1872年、日本国有鉄道国鉄神奈川駅を設置した(現在の京浜急行神奈川駅とは別)。隣駅は川崎駅 - 神奈川駅 - 旧横浜駅(現桜木町駅)(以下の文内では一部を除き、現在の桜木町駅を旧横浜駅、現在の横浜駅を横浜駅と呼称する)。神奈川駅は東海道五十三次宿場町神奈川宿」として栄えた場所に設置された。この駅は東神奈川駅の開業とともに廃止となる(後述)。

風が強い風土から、蚕に害虫がつきにくいという特徴があったことから、横浜港開港以前から信州諏訪地域周辺(諏訪・岡谷)や甲州生糸の一大生産地であった[注 1]
一方、ヨーロッパ産蚕には、微粒子病という伝染病が流行していた。その中で1859年横浜港が開港。その結果、開港から7年後の1866年頃にはヨーロッパの蚕が全滅寸前まで追い込まれる。そこでヨーロッパの生糸商は日本産蚕をたくさん買い付ける。これにより、日本の蚕産業は大きく発展することとなった。そのため、信州・甲州から馬の背に大量の生糸を乗せ、甲州街道神奈川往還経由で横浜港までを結ぶルートが確立される。

輸送障害[編集]

他の地域(群馬・福島など)では鉄道路線網が着々と確立されていた。甲州・信州方面にも中山道経由で鉄道網が敷かれるという計画があったが、急勾配で断念されたため、甲州・信州方面には鉄道網がなかなか整備されなかった。そのため、諏訪地域をはじめとする現在の中央本線沿線自治体には鉄道に対する希望がとても多かった。生糸のほかにも甲州ブドウの東京への輸送なども兼ねるルートが考えられ、今の中央本線ルートで建設されることが決定する。だが、途中には様々なトンネルを建設するがあった。
このうち、甲州・信州の生糸関連業者や東京・横浜の大資本家が出資して笹子トンネルを建設することが決定。官営鉄道によって買収後トンネルが開通し、1903年には甲府駅まで、1905年には岡谷駅まで中央本線が開通する。それにより、従来甲州街道を馬を使用し行き来していた生糸輸送ルートは中央本線で八王子まで輸送されるルートへ変更され、八王子から新宿山手線)経由で輸送されることになった。だが、とても遠回りなため非効率であった。そこに目を付けた「横浜鉄道」が八王子から横浜方面へ線路を伸ばしていったのである。計画は八王子から積み込みがスムーズにいくように横浜港北埠頭周辺を予定した。

敷設の難航[編集]

このようにして建設が開始された「横浜鉄道線」(今の横浜線)だが、路線敷設の免許が旧横浜駅や横浜港北埠頭周辺までではなく「東神奈川駅」であった。旧横浜駅・横浜港北埠頭周辺までの免許が下りなかったことに加え、旧横浜駅の隣の駅である神奈川駅は川辺に無理やり設定したため、乗り入れられる敷地が無かった。そのため、現在の「東神奈川駅」を新しく設立したうえで「八王子 - 東神奈川間を結ぶ路線」として1908年に開業することになった[注 2]
この時、東神奈川駅は神奈川駅の東1km強に設置された。同時に、神奈川駅の必要性が薄れてしまったため旧本線は支線化。1928年に廃止となり、56年という短い歴史に幕を閉じることになった。

鉄道院の買収[編集]

こうして開業した横浜鉄道線だったが、開業から1年半で買収される。路線名は「八浜線(はっぴんせん)」へ変更された(その後すぐに横浜線へ戻る)。この路線はあくまで「八王子と横浜港を結ぶ路線」へ変更されていたため、国有化後に東神奈川駅から貨物線が開業した。(後に貨物線は廃止。)
こうして今の横浜線の形になったのである。

国有化後[編集]

横浜線の運行形態の図(2020年頃)
相模線直通は朝夕のみであり、根岸線直通も桜木町より先は朝夕のみであった。

その後、1917年頃には国有路線となる。こうして貨物輸送をメインとする路線として八王子 - 東神奈川間を結ぶようになった横浜線。ここからは一部出来事を箇条書きで記す。

  • 1930年:東神奈川から伸びていた貨物線が東海道本線の貨物支線へ扱いが変更となる。
  • 1932年:東神奈川 - 原町田間電車化
  • 1933年:原町田 - 八王子間気動車導入
  • 1941年:全線電化、八王子 - 東神奈川間で通し運転が行われる。
  • 1949年:「日本国有鉄道」横浜線へ変更。
  • 1950年:相模仮乗降場が米軍の希望により設置される(後の矢部駅)。
  • 1964年:根岸線横浜駅 - 磯子駅が電化したことにより直通運転開始
  • 1972年:103系が運転開始
  • 1980年:原町田駅が「町田駅」へ名称変更される。
  • 1985年:根岸線直通区間が全区間へ変更。
  • 1989年:205系投入。103系が引退する。
  • 1991年:相模線直通列車運行開始
  • 1998年:休日のみ根岸線経由、横須賀線逗子駅へ乗り入れ開始
  • 2006年:横須賀線直通各駅停車廃止
  • 2008年:横須賀線直通快速電車廃止、開業100周年
  • 2014年:E233系投入、205系引退
  • 2022年:相模線ワンマン化により相模線直通列車廃止。
  • 2023年:横浜線開業115周年

そして、今[編集]

横浜線は開業115周年を迎えた。記念ヘッドマークが取り付けられた編成が運行されているほか、2024年3月のダイヤ改正では根岸線直通列車が今よりもさらに増える。

横浜線。詐欺路線と揶揄されがちな路線であるが、この路線は日本の経済を大きく動かした重要な路線だったのである。

脚注[編集]

  1. 後に山梨県郡内地域では「甲斐絹」という高級織物の生産が始まり、長野県岡谷市は世界から「SILK OKAYA」と呼ばれるまで発展する。
  2. 開業時の駅は「東神奈川、小机、中山、長津田、原町田(現:町田)、淵野辺、橋本、相原、八王子」の9駅。

参考ページ[編集]