森孝頼

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森 孝頼(もり たかより、生没年不詳)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将長宗我部氏家臣[1]

略歴[編集]

父は森頼実幼名は千松丸。受領名は近江守。土佐国土佐郡森城[1]

天文13年(1544年)に本山茂宗和田若狭守らの攻撃を受けて父ら一族が戦死したため、家臣の山本三郎兵衛に助けられて岡豊城主・長宗我部国親の下に逃げ延びた。国親は自分と似た境遇の孝頼を哀れんだのか庇護し、成長してから重臣の吉田重俊の娘と結婚させて重臣とした。永禄3年(1560年)、国親が本山茂辰長浜の戦いで激突した際、孝頼は父の仇である本山氏を倒すために参戦し、本山城攻略まで貢献して旧領の森郷2000貫、潮江の所領を回復した[1]

天正18年(1590年)に潮江天満宮を修築した。文禄年間に病死したという[1]

脚注[編集]

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注釈[編集]

出典[編集]

  1. a b c d 山本大「長宗我部元親のすべて」P210

参考文献[編集]