吉田重俊
ナビゲーションに移動
検索に移動
吉田 重俊(よしだ しげとし、生没年不詳)は、戦国時代の武将。長宗我部氏の家臣。
生涯[編集]
土佐国長岡郡吉田城主・吉田孝頼の実弟で、受領名の備後守から「大備後」と称された。長宗我部国親に仕えてその智謀で知られ、天文年間の長岡郡大津城攻めで国親の先手の武将として活躍した[1]。
国親の死後は長宗我部元親に仕え、土佐統一戦争で軍功を重ねる。永禄年間初期に香美郡上夜須城主となり、東隣する安芸国虎の属城・安芸郡馬の上城の番士を捕縛する功績を立てたが、これにより長宗我部家と安芸氏の衝突が避けられないものとなり、永禄6年(1563年)に安芸国虎が岡豊城を攻撃した際には自らの軍勢を率いて元親を助けた。永禄12年(1569年)の国虎との最終決戦の際には、安芸氏の武将の多くを利をもって誘い、内部崩壊を起こすのに一役買って安芸氏滅亡に大きく貢献した。その後、元親の土佐一条氏との戦い、四国統一戦に参加して武功を立てたという[1]。