松田直秀
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松田 直秀(まつだ なおひで、永禄2年(1559年) - ?)は、戦国時代の武将。後北条氏の家臣。父は松田憲秀。兄は笠原政晴。弟に直憲。妹に娘(内藤直行室)[1]。
略歴[編集]
永禄2年(1559年)生まれとされている[2]。諱の直秀は主君の北条氏直からの偏諱と推測される。
直秀は次男で長兄に政晴がいたが、彼は笠原氏の家督を継承したため、直秀が嫡子として松田氏の家督を継承した[3]。
天正16年(1588年)11月に父と共に同心・蔭山氏の屋敷売却を保証する証文を出しているのが史料上の初見である[3]。天正17年(1589年)5月に父の隠居で家督を継承し、歴代の官途である左馬助を称した[3]。また父とは別に証文を出している[3]。
天正18年(1590年)の豊臣秀吉の小田原征伐では小田原城に篭城したが、篭城中の6月17日に父や兄が秀吉に内通したことを主君の北条氏直に告発し、その忠義を激賞された[3]。7月に小田原城が開城した後は氏直に従って高野山に入るが、その後の行方は不明である[3]。
法名は天桂道安大禅定門[4]