空海

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空海(くうかい)は、平安時代の僧である。

生涯[編集]

774年、讃岐国(現在の香川県善通寺市)生まれ。豪族の家に生まれた。14歳頃に上京、学問に励む。しかし、大学での教育内容に疑問を感じ[1]、出家する道を選ぶ。その後僧として修行していた。生誕の地である四国でも修行を行い、修行で訪れた場所が、四国八十八ヶ所のルーツとなっている。その後、経典をより深く理解するために唐への渡航を希望する。

804年、留学僧として遣唐使に加わることがかない、唐に渡航。遣唐使の一行には、後に天台宗を開く最澄もいた。空海は長安の寺で弟子入りし、仏教の宗派の一つである密教を学ぶ。元々20年かけて学ぶ予定であったが、2年ほどで密教を習得できたと判断し、帰国。密教を真言宗として日本に持ち帰った。

816年に、紀伊国の山奥、高野山に金剛峯寺を開き、真言宗の修行道場とする。835年に入滅。その後数十年経ってから、「弘法大師」の諡号が贈られた。

逸話[編集]

  • 字が上手かったと言われていて、嵯峨天皇橘逸勢と並んで「三筆」と称される。
  • 弘法筆を選ばず」という有名な諺があるが、実際の空海は筆に拘っていたと言われている。

近い世代の人物[編集]

関連項目[編集]

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