村崎百郎
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むらさき ひゃくろう
村崎 百郎
本名 | 黒田 一郎 |
誕生日 | 1961年 |
出身地 | 北海道 |
死没日 | 2010年7月23日 |
死没地 | 東京都練馬区羽沢の自宅 |
ジャンル | 鬼畜系 電波系 |
職業 | ライター 小説家 編集者 翻訳家 漫画原作者 |
配偶者 | 森園みるく |
学歴 | 明治大学文学部卒業 |
代表作 | 『鬼畜のススメ 世の中を下品のどん底に叩き堕とせ!! みんなで楽しいゴミ漁り』、『電波系』、『危ない1号』など |
活動期間 | 1995年 - 2010年 |
村崎 百郎(むらさき ひゃくろう、1961年 - 2010年7月23日)は、日本のライター、小説家、編集者、翻訳家、漫画原作者。「鬼畜系」、「電波系」という言葉の生みの親である。鬼畜ブームや悪趣味ブームの中で活躍したライターである。鬼畜で猟奇的な文章が特徴的である。
人物[編集]
北海道出身。本名は、黒田 一郎。北海道倶知安高等学校、明治大学文学部を卒業。自称であるが、生まれつきで、電波を受信する特異体質である。
製粉工場を経て、1987年から出版社のペヨトル工房に雑誌『夜想』と『銀星倶楽部』の編集者として勤務する。
1993年10月号『ガロ』掲載の特集「幻の名盤解放同盟/夜、因果者の夜」で根本敬によるゴミ漁りのインタビューで「村崎百郎」として登場。その後、鬼畜系ライターとして日本一ゲスで下品なライターとして活動宣言をする。
1995年には、鬼畜系ムック『危ない1号』に参加し、ゴミ漁りルポ「ダスト・ハンティング=霊的ゴミ漁り」と「勝手にゴミュニケーション」を寄稿し、危ない1号の看板作家になった。その後、紫頭巾の覆面キャラクターとして、メディアで活動する。その後も鬼畜系・電波系ライターとして活動を続けた。
2010年7月23日、東京都練馬区羽沢の自宅で読者を名乗る男性に48ヶ所を滅多刺しされ、殺害された。事件の一週間前に、村崎は、「殺される」などと、既に死を予言していたという。
村崎百郎館[編集]
2014年に静岡県伊東市に所在する博物館であるまぼろし博覧会内に「村崎百郎館」が開設された。生前に収集したゴミなどが、展示されている。
著書[編集]
- 鬼畜のススメ 世の中を下品のどん底に叩き堕とせ!! みんなで楽しいゴミ漁り(1996年、データハウス)
共著[編集]
- 危ない1号(1995年 - 1997年、データハウス)- 東京公司
- ジ・オウム(1995年、太田出版)
- 鬼畜ナイト(1996年、データハウス)- 東京公司、企画・編集
- 電波系(1996年、太田出版)- 根本敬
- 夜、因果者の夜(1997年、ペヨトル工房)- 幻の名盤解放同盟
- 電波兄弟の赤ちゃん泥棒(1998年、河出書房新社)- 木村重樹
- 危ない28号(1998年 - 1999年、データハウス)
- 社会派くんがゆく!(2001年、アスペクト)- 唐沢俊一
- 激動編(2003年)
- 死闘編(2004年
- 逆襲編(2005年)
- 維新編(2006年)
- 乱世編(2006年)
- 復活編(2008年)
- 村崎百郎の本(2010年、アスペクト)