村上明夫
村上 明夫(むらかみ あきお、1942年[1] - )は、政治家。浦和市議会議員、さいたま市議会議員、埼玉県議会議員(無所属)。計24年地方議員を務め、6回の選挙を行った[2]。全国反戦青年委員会世話人。見沼田んぼ保全市民連絡会代表[3]。
略歴[編集]
埼玉県川口市生まれ[1]。埼玉県立浦和西高等学校3年生のとき、生徒会執行部を中心に社会科学研究会を組織。法政大学社会学部に進学後、日本社会主義青年同盟埼玉地区本部(社青同埼玉地本)に加盟、社青同の半専従となる。1963年に高校の後輩である江藤正修ら3人を社青同構造改革派として組織し、村上グループを形成した。社青同埼玉地本を掌握し、反戦青年委員会運動を各地区反戦として組織した[4]。1968年時点で社青同埼玉地本委員長、埼玉県反戦青年委員会事務局長[5]。1969年4月に11県反戦の呼びかけで全国反戦青年委員会が再建され、宮城県反戦の今野求(第四インター)とともに世話人に選出された。社青同の埼玉・石川・大阪の構造改革派3地本は、1969年8月の主革派準備会結成を経て「主体と変革派」を結成した[6]。
1983年、浦和市議会議員に初当選。1987年、見沼田んぼに移住[1]。2001年のさいたま市成立後はさいたま市議会議員[2]。2003年2月時点で見沼田んぼ保全市民連絡会代表、埼玉環境保護団体協議会代表[1]。2003年4月、埼玉県議会議員選挙に南9区から出馬し14,695票を獲得、4人中2位で初当選[7]。2007年2月に議員を引退し、今後は「見沼田んぼ市民連絡会」代表、「NPO法人見沼保全じゃぶじゃぶラボ」理事として見沼の保全活動等を続けていくと表明[2]。同年4月の埼玉県議会議員選挙には不出馬[8]。2012年時点で見沼田んぼ保全市民連絡会代表、自立援助ホームクリの家サポーターズクラブ事務局長[9]。2017年時点も同[10]。2013年5月~2018年5月、浦和西高の同窓会「西麗会」会長[11]。特定非営利活動法人埼玉太極拳協会理事長も務めた[12]。
著書[編集]
- 『工場を労働者の手に――労働者管理の思想と戦略』 川上忠雄、佐藤浩一共著、五月社、1978年
- 『環境保護の市民政治学――見沼田んぼからの緑のメッセージ』 第一書林、1990年
- 『新見沼見て歩き――見沼田んぼ散策ガイド』 編、幹書房(見て歩きシリーズ)、1994年
- 『環境保護の市民政治学Ⅱ――見沼田んぼからの伝言』 幹書房、2003年
- 『環境保護の市民政治学Ⅲ――見沼田んぼ龍神への祈り』 幹書房、2012年
- 『見沼文化を知る25選』 関東図書、2017年
分担執筆[編集]
脚注[編集]
- ↑ a b c d 環境保護の市民政治学 2 / 村上 明夫【著】 紀伊國屋書店ウェブストア
- ↑ a b c 議員の引退声明です。 村上明夫の政治,文化情報、2007年6月7日
- ↑ 【見沼田んぼ保全市民連絡会】|市民活動の紹介 見沼たんぼのホームページ
- ↑ 江藤正修「1968年論(8) 反戦青年委員会の総括(上)」フロント(社会主義同盟)機関誌『先駆』845号、2009年3月
- ↑ 高見圭司編著『反戦青年委員会――70年闘争と青年学生運動』三一新書、1968年
- ↑ 江藤正修「1968年論(9) 反戦青年委員会の総括(下)」フロント(社会主義同盟)機関誌『先駆』847号、2009年4月
- ↑ 埼玉県議会議員選挙 - 南9区候補者一覧 - 2003年04月13日投票 選挙ドットコム
- ↑ 埼玉県議会議員一般選挙(平成19年4月8日執行)結果(南選挙区) 埼玉県、2018年9月10日
- ↑ 環境保護の市民政治学 3 / 村上 明夫【著】 紀伊國屋書店ウェブストア
- ↑ 見沼文化を知る25選 : 村上明夫 HMV&BOOKS online
- ↑ 西麗会会長あいさつ 西麗会
- ↑ 特定非営利活動法人埼玉太極拳協会 | NPO法人ポータルサイト 内閣府