木曽三川
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木曽三川(きそさんせん)とは木曽川、長良川、揖斐川の3つの河川が伊勢湾に流れ込む際にほぼ合流することから名付けられた名称。下流部は東海三県(三重県・岐阜県・愛知県)の県境地帯となっている。
東海三県の小学生は遠足で国営木曽三川公園を訪れたことがある者が多い[注 1]。社会科の学習では、江戸期の薩摩藩の平田靱負の普請と共に、明治期の木曽三川の分流工事を主導したヨハネス・デ・レーケを学ぶことから、日雇い外国人の代表例としてデ・レーケを妄想する者も多い。
水系[編集]
木曽川は延長229km、長良川は166km、揖斐川は121kmであり、いずれ劣らぬ大河であるが、河口はほぼ一点に集約される。このため木曽三川はすべて木曽川水系に含まれる。日本の法律では水系主義、いわゆる海に接している部分を起点として河川を分類把握しているため、木曽川・長良川・揖斐川という各々別の地に源流を持ち、別の市町村を流れる河川が、同じ河川の一部として取り扱われることになる。
木曽川・長良川・揖斐川ほどの河川であれば各々を水系として取り扱った方が、理にかなった管理も可能で無駄も減らすことができると思われる。国営木曽三川公園のように、三川を目視するためのタワーを2つ建設する必要は無かった。
その他[編集]
東海地方以外で見ると、旧利根川、荒川などの複数の河川の河口に発達した江戸、淀川の河口に発達した大坂、太田川の河口に数ヶ所の中州が形成された広島のように大河川の河口に発達した都市も少なくなく、純粋な農業地のまま高度成長期を迎えた木曽三川地域と対照的である。