朝日山藩

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朝日山藩(あさひやまはん)とは、明治時代初期のごくわずかな期間に近江国に存在していたである。藩主家は譜代大名水野氏。石高は5万石。藩庁朝日山陣屋。現在の滋賀県長浜市(旧東浅井郡湖北町山本)に存在した。

概要[編集]

明治3年(1870年)7月、出羽国山形藩主の水野忠弘は、明治政府の命令により近江国に移封された。同年の11月に朝日山に藩庁が築かれた。この忠弘は天保の改革を行なった老中水野忠邦の孫である。

明治4年(1871年)7月の廃藩置県により、朝日山藩は朝日山県となって消滅した。同年11月に彦根県などと合併して長浜県となり、その後に犬上県を経て現在の滋賀県となった。

歴代藩主[編集]

水野家[編集]

譜代 5万石 (1870年 - 1871年)

  1. 忠弘(ただひろ)〔従四位・和泉守〕 

幕末の領地[編集]

山形藩[編集]

朝日山藩[編集]

なお、廃藩置県の段階で最上家の所領(旧大森藩)は近江国甲賀郡(2村)、愛知郡(7村)、蒲生郡(1村)に存在し、全域が大津県に編入された。