山上藩

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山上藩(やまかみはん)は、江戸時代前期から明治時代初期にかけて近江国に存在したである。藩主家は譜代大名稲垣氏。石高は1万3000石。藩庁は山上陣屋。現在の滋賀県東近江市山上町(旧神崎郡永源寺町山上)に存在した。

概要[編集]

藩主家の稲垣氏は源氏の流れを汲み、もともと伊勢国武士だった。三河国に移って稲垣長茂の時に徳川家康に仕えて関ヶ原の戦いで功績を立て、大名に昇格する。長茂の3男・稲垣重太は6000石をもって分家し、重太の子・重定は万治元年(1658年)に6000石の家督を継承する。重定は延宝7年(1679年)に大番頭となって2000石を加増され、貞享2年(1685年)に若年寄に昇進して5000石を加増され、これにより合計1万3000石の大名に昇格し、元禄11年(1698年)12月に山上に陣屋を構えたことから、山上藩が立藩された。所領は野洲郡蒲生郡甲賀郡坂田郡神崎郡浅井郡の6郡に存在していた。

この藩は歴代藩主の何人かが大番頭を務めたこと、天保2年(1831年)に野洲郡の一部の所領が変更されたこと以外に特筆することもない。明治維新版籍奉還を経て、明治4年(1871年)の廃藩置県によって山上藩は消滅した。

歴代藩主[編集]

稲垣家

譜代 1万3000石

  1. 重定(しげさだ)
  2. 重房(しげふさ)
  3. 定享(さだみち)
  4. 定計(さだかず)
  5. 定淳(さだあつ)
  6. 定成(さだなり)
  7. 太篤(もとあつ)
  8. 太清(もときよ)
  9. 太祥(もとよし)

幕末の領地[編集]