景皇后朱氏
ナビゲーションに移動
検索に移動
景皇后朱氏(けいこうごうしゅし、234年 - 265年)は、中国の三国時代の呉の第3代皇帝・孫休の皇后。諡号は景皇后。父は朱拠。母は孫魯育(朱公主)。孫権の外孫にあたる。異母兄は朱熊・朱損。
生涯[編集]
孫権の重臣で娘婿であった朱拠の娘。251年に孫権の命令で孫休の妃に迎えられた[1]。孫亮の時代に孫儀が孫峻の暗殺を計画し、母親が連座して孫峻に処刑された際、孫休は自らも連座にされることを恐れて朱氏を建業に帰らせたが、孫峻は孫休には連座を問わず、朱氏を孫休の下へ戻すことを許した[1]。
その後、孫休が皇帝に即位すると262年になって皇后に立てられた。264年に孫休が崩御して孫皓が即位すると最初は皇太后に立てられたが、すぐに孫皓によって皇太后から位を落とされるなど迫害され、失意の内に265年に死去した[1]。享年32。