朱 熊(しゅ ゆう、生没年不詳)は、中国の三国時代の呉の武将。父は朱拠。兄弟姉妹は朱損・朱皇后(孫休の皇后)。子に朱宣。
251年の父の死後、父の兵力を継承して虎林督となる。しかし全公主(孫魯班)の讒言により第2代皇帝の孫亮に殺害された[1]。