孫魯育
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孫 魯育(そん ろいく、? - 255年)は、三国時代の呉の皇族。孫権の娘で呉の重臣の朱拠、後に劉纂に嫁いだ。字は小虎(しょうこ)[1]。
生涯[編集]
孫権と歩夫人の娘で、同母姉に孫魯班がいる。父が皇帝に即位した際、重臣の朱拠に嫁いでその間に朱熊・朱損を生んだ[1]。魯育の兄弟であった孫登が早世して呉で二宮の変が起こると朱拠もこの政争に巻き込まれ、孫権に百叩きにされた上に左遷されて讒言で自殺させられた[1]。このため魯育は重臣の劉纂と再婚する[1]。
しかし姉の魯班はかつて魯育が兄弟の孫和の廃嫡を反対していたことを恨んでいて、孫権没後に権力を掌握していた孫峻に対して孫峻暗殺を魯育が企んでいると誣告し、孫峻は魯育を処刑した[1]。さらに魯班は魯育の前夫との間に生まれた2人の息子も讒言で死に追いやった[1]。
『三国志演義』には登場しない。