教育虐待
教育虐待(きょういくぎゃくたい)とは、モラハラの一種であり、児童虐待の一種でもあることも多い。
概要[編集]
子供の教育に熱心になりすぎるあまり、子供の能力や意思を無視して過剰な学習や習い事を無理強いさせるもの。教育虐待という言葉が世間に広く認知されるようになったのは2011年といわゆるお受験や中学受験ブームからすると比較的最近のことだが、受験戦争が始まった頃から教育虐待に類する行為は行われており、家庭で子供と接する時間が長い母親が子供の教育に熱心になりすぎる傾向があったためか教育ママという俗語が広く認知されていた。
親が本庁勤務の国家公務員、高等裁判官、弁護士、医師、大企業の管理職・役員等高学歴で経済的・社会的地位の高い両親の元で起きやすい。
逆に学歴コンプレックスを拗らせた親が子供に勉強や習い事を無理強いしたり、進学先に干渉したりする事例もあり、これによる殺人事件も生じている。
食育に関する教育虐待[編集]
たとえば、「すべての人は、その人の行いに応じて報いを受けなければならない」とする。
だったら仕事した分だけ給料は支払われるはずだが、それを払わないならモラハラである。「態度が気にくわない」から「就業態度を改めさせるために“給料を払わない”という罰を与える」ことは社会人としての義務である。うん、私は間違ってはいない。というのはモラハラであり教育虐待である。
理由は説明されない。「それは自分で気づかなければならない」からである。
これと同じように、「みんな同じように、同じものを、同じ量食べなければならない」し、「食べものは絶対に残してはいけない」というのが「食育」である。そんなわけで、食物アレルギーの生徒がアナフィラキシー・ショックで死んでも、それは「食育」の一環だから免責されると考えるのがモラハラであり教育虐待である。
「世界には食べたくても食べられない子供が何億人もいるんですよ!」といえば二三食抜こうがマズメシを吐くほど食わそうが通ると思っている。栄養バランスがどうの野菜を一杯食べないと健康にこうのとか言って、ブタでも喰わなそうなマズメシを食わせても「食育だから」である。それで子供が摂食障害を起こそうが不登校になろうが「ご家庭に問題があるんじゃないですか?」とかいって「熱心な教師」っぷりを演じていればいいし、親は親で「どうして親の言うことが聞けないんだ!」とキレて「子供に鞭を惜しまない」敬虔なキリスト教徒を演じている[1]。
身近な子供に「トムヤムクンに入っているパクチーって、知ってる?」と訊いたら、「トムヤムクン味のインスタント麺は、普通に美味かった」とか。唐辛子もパクチーも酸味(タマリンドか?)も平気だという。これはこれでつまらんとは思うが、「セロリが嫌いだ」と言ったら職場でさんざんに馬鹿にされたので腹いせに四週間セロリを喰い続け、「好きになったのか?」とニヤニヤしながら寄ってきた奴に「不味いということが分かりました」と言い返したことがある。それで得た教訓は、「連体修飾節には暗黙の主語として話者がいる」ことであり、「不味い食い物」というのは「私が喰わば不味いと感じせしめる食い物」と同義であるということだ。「数学は面白い」は、「私は数学が面白いと感じる」という感想でしかないので、数学が嫌いな生徒を叱る馬鹿な数学教師がいると思っただけで不快になる。ウケが悪い客を見たら高座から駆けおりてきて客をボコる落語家がいるかっつー話である。