抜刀隊
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抜刀隊(ばっとうたい)とは、明治10年(1877年)の西南戦争で警視庁により編成された部隊である。
概要[編集]
2022年現在に於いて、日本最後の内戦にして不平士族最大の反乱である西南戦争が勃発すると、反乱地の鹿児島県に対して創設間もない陸軍から軍隊が派遣された。しかし、反乱軍が銃弾不足から白兵戦で挑んだため、平民主力の政府軍では対応できず、警視庁は白兵戦に慣れた士族を中心としたおよそ9500名を警察官として戦地に送り込み、西南戦争最大の激戦地となった田原坂で活躍した。
主力は鹿児島県出身者で、同郷出身者らが干戈を交わすことになった。他にも戊辰戦争で薩摩藩の西郷隆盛らによって手痛い目に遭わされた会津藩など東北地方の諸藩や徳川幕府の旧幕臣もいた。元新撰組3番隊組長・斎藤一もこの抜刀隊の一員だったという。田原坂の戦いは17日間にわたって繰り広げられ、最終的に明治政府軍が勝利を収めたが、抜刀隊は918名が殉職した。
この勝利で抜刀隊が大きく貢献した事実から、火器が重視されつつあった当時の大日本帝国陸軍では剣術が再度見直される契機になった。
軍歌[編集]
この抜刀隊の活躍により、軍歌「抜刀隊」が作詞作曲されて1885年に発表された。陸軍分列行進曲となった。この曲は戦後も自衛隊や警察のパレードに使われる。ただし、抜刀隊は警察官で構成されていたので、軍歌というよりも警察歌とするほうが正しい。
詳細は「抜刀隊 (軍歌)」を参照