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戸田城聖
戸田城聖(とだ じょうせい、1900年生 - 1958年没)は、日本の実業家、宗教家。創価学会の第2代会長。
生涯[編集]
1900年(明治33年)2月11日に石川県で生まれた。1902年(明治35年)に家族と共に北海道厚田村へ移住した。19歳で東京に上京し、牧口常三郎が校長をしていた小学校に教師として採用され、以後、牧口常三郎を師匠と仰いだ。妻や子供が相次いで病死して、浄土真宗やキリスト教などの宗教を遍歴した。のちに、1928年(昭和3年)に牧口常三郎とともに日蓮正宗に入信した。この頃に、中央大学経済学部に入学したが、中退した。1930年(昭和5年)11月18日に「創価教育学会」(創価学会の前身)を創立した。牧口常三郎が会長となり、戸田城聖が理事長となった。戸田城聖は出版業や学習塾や金融業などの多角的な事業経営に乗り出すが、1943年(昭和18年)に牧口常三郎とともに「治安維持法違反」並びに「不敬罪」で思想犯として特高警察(特別高等警察)に逮捕・投獄された。太平洋戦争が終戦する直前の1945年(昭和20年)7月に戸田城聖は出獄して、前年に獄死した牧口常三郎の遺志を継ぎ、1946年(昭和21年)に「創価教育学会」から「創価学会」に名称変更して創価学会の再建に着手し、創価学会の理事長に就任する。1951年(昭和26年)5月3日に創価学会の第2代会長になり、創価学会の世帯数を約75万世帯の達成を目標にした。この頃から創価学会の「折伏大行進」という「強引な宗教勧誘」を行うようになり創価学会の信者数は大幅に増加した。1956年(昭和31年)から創価学会は「文化部」を設置して、創価学会は政治進出し、国政選挙や地方選挙に創価学会が推薦する候補者を立候補させて当選者も出した。晩年には、原水爆禁止宣言を行い「反核」を提唱した。また、平和運動を行った。また「地球民族主義」を提唱した。1958年(昭和33年)に創価学会の世帯数は約75万世帯を達成した。1958年(昭和33年)4月2日に急性心不全で死去。享年58歳。著書に『生命論』(1949年)、『王仏冥合論』(1956年)などがある。