牧口常三郎

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牧ロ常三郎(まきぐち つねさぶろう、1871年7月23日(旧暦の明治4年6月6日)生 - 1944年(昭和19年)11月18日没)は、日本教育者宗教家創価学会の初代会長。

生涯[編集]

1871年新潟県で生まれた。1893年旧制の尋常師範学校(現在の大学教員養成課程)を卒業と同時に小学校教師になり、のちに尋常師範学校の後身にあたる師範学校教師になるが、間もなく辞職。雑誌編集など仕事の経て、東京の小学校の校長を歴任した。この間に、小学校の元教師だった戸田城聖らと学習塾「時習学館」を開設し、また「開発主義教授論」と「単級学校教授方法論」などの教育理論を研究し、合理的な教授方法を提唱した。教職を離れて、1930年(昭和5年)11月に「創価教育学会」(創価学会の前身)を創立した。当初は、「創価教育学会」は教育団体だったが、牧口常三郎と戸田城聖日蓮正宗に入信すると「創価教育学会」は日蓮正宗の信徒団体として宗教色が濃くなった。「創価教育学体系」という教育理論による教育改革を展開したが、太平洋戦争中の1943年(昭和18年)に治安維持法違反並びに不敬罪特高警察(特別高等警察)に思想犯として逮捕されて1944年(昭和19年)11月18日に東京拘置所獄死した。享年73歳。

関連項目[編集]