張苞 (蜀)
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張 苞(ちょう ほう、生没年不詳)は、中国の三国時代の蜀の武将。父は張飛。弟に張紹。子に張遵[1]。
生涯[編集]
張飛の長男[1]。若くして死去したとされ、父より先に亡くなったという[1]。
『三国志演義』では第81回に初登場し、第99回まで父に劣らぬ武勇の持ち主として活躍の場を与えられている。孫権に対して親征を行なう劉備の下に駆けつけ、父の形見の蛇矛を持って活躍。100歩以上離れた的を連射して3本とも中心に射抜いた。そして劉備の仲介を受けて関興と義兄弟の契りを結び、孫権の武将の李異ら多くの武将をあの世に送る。この後は主に関興とペアで描かれる事が多く、張飛を暗殺した張達らを殺して敵をとり、劉備が陸遜に大敗すると関興と共に護衛を果たしたが重傷を負った。以後は諸葛亮に従って蜀の留守を守り、北伐では第1次で関興と共に大活躍する。しかし229年の第2次北伐の際、敗走する孫礼らを追って深入りした際に人馬もろとも谷に転落し、重傷を負って成都に引き返して治療を受けるが、その甲斐なく死去した。その死を知った諸葛亮は血を吐いて昏倒し、北伐から引き返す設定となっている。