張 遵(ちょう じゅん、? - 263年)は、中国の三国時代の蜀の武将。祖父は張飛。父は張苞。叔父は張紹。
張飛の孫で皇帝である劉禅の外戚でもあったため、尚書まで昇進した[1]。263年に魏の鄧艾が綿竹に攻め込んできた際、諸葛瞻に随行して戦うが戦死した[1](蜀滅亡)。
『三国志演義』では第117回で登場するが張飛の孫という血縁が表されていない。戦死は史実と同じであるが諸葛尚の出撃をやめるように諫言し、最期は黄崇や李球と共に戦死している。