張悌
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張 悌(ちょう てい、? - 280年)は、中国の三国時代の呉の政治家・武将。字は巨先(きょせん)[1]。呉の最後の丞相である[1]。
生涯[編集]
荊州襄陽郡(現在の湖北省)の出身[1]。若い頃に道理に通じていると評判があり、孫休の時代に屯騎校尉に任命される[1]。263年に魏の司馬昭が蜀に侵攻した際には魏の勝利を予測したという[1]。
孫皓の時代に軍師に任命され、279年8月に丞相に任命されるが、その直後に西晋の司馬炎の侵攻を受ける事になる[1]。280年、張悌は沈瑩・諸葛靚らと共に3万の軍勢で長江を下る西晋軍を迎撃するが、王渾率いる西晋軍に大敗する[1]。諸葛靚は退却を主張するが、張悌は踏みとどまって最後まで交戦し、乱戦の中において戦死した[1]。
『三国志演義』でもほぼ同じように登場して戦死している[1]。