廣西元信

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廣西 元信(ひろにし もとのぶ、1913年大正2年)1月1日 - 1999年平成11年)12月23日)は、空手家、在野のマルクス研究者。反共主義皇道派の政治評論家[1]

経歴[編集]

京都府竹野郡網野町(現・京丹後市)生まれ。旧制京都府立宮津中学校卒業。1930年早稲田第二高等学院[2]、1933年早稲田大学文学部に入学[3]、高校・大学で空手部に入部。1936年早稲田大学文学部露文科卒業。1940年まで兵役で中国中部を転戦する。1942年新聞記者・政治評論家の岩淵辰雄の門下生となる。東亜外事専門学校(現・麗澤大学)、大倉高等商業学校(現・東京経済大学)で船越義珍の師範代として空手を指導する。日本空手道松濤會筆頭理事に就任。陸軍戸山学校で実技指導。1944年中央大学空手部を船越の代理で指導する[2]

1945年12月中央大学空手部師範に就任[2][3]。1946年専修大学空手部師範に就任。雑誌『世界文化』編集部員となり、詩人の草野心平、作家の田中英光、マルクス主義者の対馬忠行と交流を持つ[2]。1948年船越とともに日本空手協会を結成[2][4]。1951年文化自由会議に参加。1953年東京農工大学空手部師範に就任[2]。1957年仙武会(千葉市)の初代師範に就任[2]。1962年10月日本空手道松濤會二代目理事長に就任[2][5]。1970年成城大学空手部師範に就任[2][6]。1976年江上茂と協力して東京都港区芝浦に日本空手道松濤會本部道場松濤館を再建[7]。1986年自主ゼミ「思想問題研究会」を始め、レポート『ソ・中ゼミ』を執筆。1992年からレポート『仙人通信』、1994年からレポート『雑学回報』を刊行[2]。1995年日本空手道松濤會三代目会長に就任[2][5]

1999年12月23日、心不全のため死去、86歳[8]

空手[編集]

1943年に厚生省が発令した『戦時学校体育要綱』の中に「空手は柔道と合わせて行うことを得」という条項があったが、廣西は柔道界の工藤一三と論争して、大学の空手部は今まで通りのやり方で練習して良いと認めさせた。戦後、GHQの指令で文部省が武道禁止令を発令したが、廣西は文部省当局と掛け合い、空手は禁止されていないことを認めさせた。そのため、廣西は日本空手道の中興の祖といわれる[7]

マルクス研究[編集]

反マルクス主義・反共産主義の立場からマルクスを研究した。マルクスのアソシエーション論的解釈の先駆者として知られ、左翼からも高い評価を受けた。

1954年『利潤分配制度の概要』を刊行し、利潤分配制を提唱した[1]。1966年『資本論の誤訳』を刊行し、マルクスの「社会的所有」という概念は「会社的所有」という意味でありマルクスの理論は国有・国営社会主義ではないこと、日本ではアソシエート(連合)とコンビネート(統合)、所有と占有の区別がついていないことなど、日本でマルクスが誤訳・誤読されていることを指摘した。このような誤読・誤解が起きた理由としては「明治の官許御用学、開明的紳士学」の影響があるとした。中でも民法学を踏まえた「共同所有」と「共同占有」の区別は、黒田寛一芝田進午坂間眞人らに注目された。坂間は廣西を援用して平田清明の「個体的所有の再建」論を批判したことで知られる(「マルクス学説の再興」『情況』1972年10月号・12月号)[1]。廣西自身は資本主義的株式会社が利潤分配制の連合的株式会社に転換することで社会主義社会が実現し、株式会社は共産主義社会まで存続するというマルクスの見解を高く評価した上で、利潤分配制社会主義を主張した。

1985年刊行の『マルクス主義の破綻』、1992年発表の「マルクスを超克する――その歴史的限界と錯誤」(いわき地域学会『うえいぶ』18号)では、マルクス主義だけではなくマルクス自身の誤りについても言及した[1]。1990年発表の「社会主義は死滅したか」(『自由』1990年5月号)では、利潤分配制を「相互主義」として提唱した[9]

著書[編集]

単著[編集]

  • 『利潤分配制度の概要』 自由人クラブ、1954年
  • 『資本論の誤訳と誤解――大学教授たちの頭の程度』 自費出版、1965年
  • 『資本論の誤訳と誤解(2)――エンゲルスは間違っている』 自費出版、1966年
  • 『資本論の誤訳』 青友社、1966年/国分幸編・解説、こぶし書房(こぶし文庫 戦後日本思想の原点)、2002年
  • 『マルクス主義者の頭の程度』 自費出版、1967年
  • 『左翼を説得する法――マルクス主義者の泣きどころ』 全貌社、1970年
  • 『マルクス主義の破綻――批判には別案が内包されねばならない』 エスエル出版会、1985年
  • 『脱資本主義の経済構造』 自費出版、1994年

編著[編集]

  • 『目でみる空手入門』 西澤弘文堂、1955年

分担執筆[編集]

  • 船越義珍『愛蔵版 空手道一路』榕樹書林、2004年

出典[編集]

  1. a b c d 関内幸介「『資本論の誤訳』の復刻に寄せて―利潤分配制・共通占有・廣西理論」『場 UTPADA』No.21、こぶし書房、2002年、4-6頁
  2. a b c d e f g h i j k 国分幸「廣西元信 略年譜」廣西元信『資本論の誤訳』こぶし書房(こぶし文庫)、2002年、350-351頁
  3. a b 空手部歴代師範 中央大学空手部
  4. 沿革 日本空手協会
  5. a b 沿革 日本空手道松濤會
  6. 名札 成城大学空手道部
  7. a b 廣西元信 先生 日本空手道松濤會
  8. 日外アソシエーツ編『現代物故者事典 2000-2002』日外アソシエーツ、2003年、890頁
  9. 高宗昭敏「将来社会は相互主義―廣西元信先生」『場 UTPADA』No.21、こぶし書房、2002年、9-11頁

参考文献[編集]