旧日本軍の派閥

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皇道派から転送)
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旧日本軍の派閥(きゅうにほんぐんのはばつ)では旧日本軍に存在した二つの派閥について解説する。

概要[編集]

統制派
陸軍の高官が中枢となってできた派閥。
リーダーは東条英機など。
具体的には政府や経済に介入して軍部寄りに政府を変えていこうとした。
拡張方針として、南のイギリス領マラヤ、オランダ領東インドなどの欧米列強の東南アジアを中心とした植民地に進出しようとする南進論を唱えていた。
反米英・国家社会主義を掲げるドイツとの連携強化を主張していた。
皇道派
統制派と対立していた一派。
リーダーは荒木貞夫など。
天皇による政治である天皇親政を目指した。
昭和維新を目指して二・二六事件を起こす[1]ものの失敗し、壊滅。
拡張方針として、北のソビエト連邦に進出しようとする北進論を唱えていた。
また、同盟国として満州国建国を支持する大英帝国を推していた。

事件後[編集]

皇道派が粛清されたこと[2]により、陸軍・政府の方針は統制派の拡張方針である南進論に決定し、艦隊派[3]が実権を握り始めていた海軍の了承も得て枢軸国に味方をするという決定が御前会議で下された。

そして第二次世界大戦に参戦していくこととなる。

関連項目[編集]

注釈[編集]

  1. スローガンは「尊王討奸」。王を尊び悪政をしている政治家を排除しようという意味。
  2. 二・二六事件により大量の皇道派の将校が処刑されたり更迭されたことにより発言力が低下。
  3. 積極的な艦隊の拡大を唱えていた海軍の一派。対立していたのはロンドン海軍軍縮会議を順守すべきという条約派