平井久右衛門

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平井 久右衛門
ひらい きゅうえもん
性別
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生年月日 不詳
死没日 不詳
肩書き 織田家・家臣
国籍 日本国旗.png日本

平井 久右衛門(ひらい きゅうえもん)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将織田氏の家臣。

略歴[編集]

織田家の弓衆を務め、弓の名手で知られた[1]。『信長公記』によると、永禄4年(1561年)4月、三河侵攻における梅が坪城攻めの際に活躍し、主君の織田信長からそれを賞されて豹の皮の大うつぼ(矢を入れて背に負う入れ物)と蘆毛の馬を与えられたという。

その後、20年近くも記録に現れず、天正6年(1578年)12月に荒木村重が信長に対して反乱を起こし、それを鎮圧するために摂津有岡城を攻撃した際に、弓衆を率いる平井が従軍していることが確認され、信長から火矢で城下を放火するように命じられている[1]

『信長公記』によると、天正9年(1581年)2月28日の京都御馬揃えの際、中野一安と共に弓衆100名を率いて2手に分かれて2段で行進していることが記録されている。

慶光院文書』によると、天正10年(1582年)1月に信長から伊勢神宮造営の奉行に任命されているほか、4月15日付で伊勢慶光院に宛てた信長黒印状に「平井弓右衛門尉」という名前が記録されている。

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

  1. a b 岡田 1999, p. 248

参考文献[編集]