岩富藩
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岩富藩(いわとみはん)は、江戸時代のわずかな期間だけ下総国に存在した藩である。藩主家は後北条氏。藩庁は岩富城。現在の千葉県佐倉市に存在した。
概要[編集]
中世において岩富城は千葉氏の支城の一つとして重要視されたが、天正18年(1590年)の小田原征伐の際に豊臣氏の軍勢によって落城した。この時の落城の際に活躍したのが、後北条家の一族ながら相模国玉縄城を攻められて豊臣家に降伏していた北条氏勝であった。
後北条家滅亡後、徳川家康が関東に入ると氏勝は家康の家臣となり、岩富に1万石を与えられて大名となった。これが岩富藩の立藩である。氏勝は後北条家で勇将と謳われた「地黄八幡」・北条綱成の孫である。氏勝は慶長16年(1611年)に死去し、藩主の座は養子の氏重が継承した。慶長18年(1613年)、氏重は下野富田藩に移封となって岩富藩は廃藩となり、この際に岩富城も破却された。
歴代藩主[編集]
- 北条家
譜代。1万石。