岩佐幹三

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岩佐 幹三(いわさ みきぞう、昭和4年(1929年) - 令和2年(2020年9月7日)は、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)顧問。金沢大学名誉教授

経歴[編集]

福岡県出身。16歳の学生のときの昭和20年(1945年8月広島県広島市の爆心地からおよそ1.2キロの自宅で被爆した。昭和28年(1953年)、名古屋大学法学部政治学科卒業。金沢大学助教授を経て、昭和54年(1979年)に教授[1]。金沢大学では政治思想史を研究しながら、原水爆禁止運動や被爆者救済運動に取り組む。昭和35年(1960年)には石川県で「原爆被災者友の会」を設立。

金沢大学で法学部長を務めた後、退官する。平成12年(2000年)から被団協の事務局次長を務め、平成23年(2011年)には代表委員を、平成29年(2017年)には顧問となる。代表委員に就任した年に大江健三郎らと発起人となり「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」を発足し、被爆の実相を伝えるために資料や証言を収集・保存し、電子化する活動に取り組む。平成28年(2016年)にはアメリカバラク・オバマ大統領の広島訪問にも立ち会った。さらに同年からは他の被爆者とともに核廃絶を訴える「ヒバクシャ国際署名」を開始し、翌年には国連で採択された核兵器禁止条約の早期発効を求めた。広島原爆で母親と妹を失っており、また自らもと闘病していたとされ、岩佐は「被爆者は人類の教師であり、踏みにじられた人間性を取り戻すために戦う」と国内外を飛び回り、核兵器廃絶を世界に訴え続けていた。

令和2年(2020年)9月7日午前3時19分、膵臓癌のため、千葉県内の自宅で死去した。91歳没。

著書[編集]

  • 『政治思想・歴史と現代』(山崎時彦共編、法律文化社、1975年)
  • 『市民的改革の政治思想――ベンタムとイギリス急進主義研究序説』(法律文化社、1979年)

出典[編集]