山内 十郎(やまうち じゅうろう、天文10年(1542年)- 弘治3年7月12日(1557年8月6日))は、戦国時代の武将。山内一豊の次兄。織田氏の家臣[1]。
諱は不詳。父は山内盛豊で次男。母は法秀尼。長兄の左衛門大夫が早世したため、嫡子となった[1]。
弘治3年(1557年)7月12日、尾張国黒田城で就寝中の際、城に夜襲が仕掛けられ、十郎は自ら刀を取って応戦して3人ほど倒したが、討ち死にしたという。享年16。墓所は愛知県一宮市の法蓮寺[1]。
このため、弟の一豊が嫡子となった。