小山藩
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小山藩(おやまはん)は、江戸時代前期のわずかな期間だけ下野国小山に存在した藩である。藩庁は小山城。藩主家は譜代大名の本多氏。現在の栃木県小山市に存在した。
藩史[編集]
戦国時代、小山は小山氏の支配下にあった。天正18年(1590年)の豊臣秀吉の小田原征伐の際、当時の小山政種は後北条家に味方したため、後北条家の滅亡と運命を共にした。
慶長13年(1608年)、徳川家康の側近・本多正信の嫡男である正純が、父とは別に3万3000石を与えられて小山に入ったことから、小山藩が立藩した。所領は近江国・下野国などにあり、小山城を藩庁に構えた。
徳川家康が大御所になると、正純は家康の側近として権勢を大いに振るった。家康没後は徳川秀忠に仕え、元和2年(1616年)には2万石を加増された。元和5年(1619年)、正純は下野宇都宮藩15万5000石に加増移封となり、ここに小山藩は廃藩となり、その所領は古河藩に吸収された。
歴代藩主[編集]
本多(ほんだ)家[編集]
3万3000石→5万3000石。譜代。
- 正純(まさずみ)