小山藩

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
Wikipedia-logo.pngウィキペディアの生真面目ユーザーたちが小山藩の項目をおカタく解説しています。

小山藩(おやまはん)は、江戸時代前期のわずかな期間だけ下野国小山に存在したである。藩庁は小山城。藩主家は譜代大名本多氏。現在の栃木県小山市に存在した。

藩史[編集]

戦国時代、小山は小山氏の支配下にあった。天正18年(1590年)の豊臣秀吉小田原征伐の際、当時の小山政種は後北条家に味方したため、後北条家の滅亡と運命を共にした。

慶長13年(1608年)、徳川家康の側近・本多正信嫡男である正純が、父とは別に3万3000石を与えられて小山に入ったことから、小山藩が立藩した。所領は近江国・下野国などにあり、小山城を藩庁に構えた。

徳川家康が大御所になると、正純は家康の側近として権勢を大いに振るった。家康没後は徳川秀忠に仕え、元和2年(1616年)には2万石を加増された。元和5年(1619年)、正純は下野宇都宮藩15万5000石に加増移封となり、ここに小山藩は廃藩となり、その所領は古河藩に吸収された。

歴代藩主[編集]

本多(ほんだ)家[編集]

3万3000石→5万3000石。譜代。

  1. 正純(まさずみ)