孫韶
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孫 韶(そん しょう、188年 - 241年)は、中国の後漢末期から三国時代にかけての呉の武将・皇族。字は公礼(こうれい)[1]。孫河の甥[1]。孫桓の従兄。子は孫楷・孫越・孫異・孫奕・孫恢。
生涯[編集]
17歳の時、孫河の軍勢を引き継いで京城の警備につく[1]。孫権が皇帝に即位すると鎮北将軍に昇進し、国境警備を務めた[1]。孫権が建業に遷都した際に孫韶に久しぶりに会うと身長が8尺(約190センチ)に成長し、性格も温厚な風貌の若者に成長していて喜び、幽州牧に任命して仮節を与えたという[1]。
『三国志演義』では第86回に登場し、224年に魏の文帝が呉に侵攻してきた際、総大将の徐盛の策に逆らって軍法違反で打ち首寸前となるが、孫権の助命により刑は免れる。しかしなおも徐盛に逆らって独断で軍を動かし、魏軍に夜襲をかけて徐盛の支援もあり大勝した。