孫河
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孫 河(そん か、? - 204年)は、中国の後漢末期の武将。字は伯海(はくかい)[1]。子は孫助・孫誼・孫桓・孫俊。甥は孫韶。
生涯[編集]
揚州呉郡富春県の出身[1]。孫堅の族子で愈家の養子になるが、孫策の時代に復姓している[1]。武勇に優れ、孫堅の時代から常に先鋒を務めた[1]。192年に孫堅が戦死した際、その軍が袁術に吸収されると孫河は呂範と共に孫策にあくまで従った[1]。孫策が挙兵すると呉郡と会稽郡の平定に務め、孫権の時代には反乱を起こした李術の討伐で功を立てる。これにより威寇中郎将・廬江郡太守にまで昇進した[1]。
204年、孫翊が媯覧・戴員らに暗殺された時、媯覧らを咎めたことから罪に問われるのを恐れた両名により孫河も暗殺された[1]。
『三国志演義』では孫桓の父親として名前のみ登場する。