孫松
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孫 松(そん しょう、? - 231年)は、中国の後漢末期から三国時代にかけての呉の皇族・武将。字は子喬(しきょう)[1]。祖父は孫堅。父は孫翊。孫策・孫権の甥にあたる。
生涯[編集]
『呉録』によると人との交わりを大切にし、財貨を惜しみなく人々に与えて人望が厚かったという。射声校尉・都郷侯となった[1]。巴丘の司令官として赴任していた際、陸遜から小さな罪を咎められて顔色を変えたが、後に「不甲斐ない自分に腹を立てたのだ」と答えている[1]。231年に早世した[1]。
同盟国の蜀の丞相・諸葛亮は兄の諸葛瑾に送った書でその死を深く惜しんでいることから、かなりの人物だったことが伺える[1]。
『三国志演義』には登場しない。