奥山正之
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奥山 正之 おくやま まさゆき | |||||||||||||||||
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奥山 正之(おくやま まさゆき)は、安土桃山時代の武将・大名。豊臣氏の家臣。越前国内で1万1000石を領した[1]。
生涯[編集]
父は奥山盛昭。祖父は織田信長の重臣で桶狭間の戦いで当時は松平元康と名乗っていた徳川家康に討たれた佐久間盛重である。父の時代から奥山に改姓し、文禄3年(1594年)に正之は父の家督と所領を継承した[1]。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは西軍に属し、同じく西軍の丹羽長重に呼応して東軍の前田利長と加賀国大聖寺城で戦うが敗走。戦後は改易となり、京都で余生を過ごして正保2年(1645年)に没した。兄の重成は江戸幕府の旗本として家系は続いた[1]。
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
参考文献[編集]