天保暦
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天保暦(てんぽうれき)は、江戸時代後期の日本で使われた太陰太陽暦の暦。現行のグレゴリオ暦が導入される直前の暦で通称旧暦。
概要[編集]
寛政暦と同様、ラランデ暦書などの西洋天文学が取り入れられ、平均太陽年の誤差もグレゴリオ暦より小さい[注 2]。また、定気法や季節の巡りに応じて時間の長さが変わる不定時法を暦法に導入した。しかし、正確さを求める余り複雑になってしまい、平気法なら暦月をすんなり決めやすい2033年の旧暦問題を招くことになる。
幕府が倒れ、幕府天文方が組織解体すると朝廷陰陽寮の陰陽頭の土御門晴雄は太陰太陽暦での改暦を企図するが目前で逝去。明治維新下の明治5年(1872年)、陰陽寮から暦編纂権を奪った明治新政府は太陽暦(グレゴリオ暦)を公暦と決め、施行から僅か29年で1873年に改暦され、元号も太陽暦ベースとなった。
改暦の背景として、財政難の明治政府にとって、明治6年に見込まれた閏月の存在は当時から採っていた月給制による人件費の負担増となり、大幅な改革を行って、月給を13回支払うことを回避したかったという面もある。
今日でも、旧暦は潮汐の動向に欠かせず、各地伝統行事の一部も旧暦に基づいている。このため国立天文台が日本標準時子午線を基準[注 3]に暦計算して求め、朔望と二十四節気を官報で「暦要項」として公表している。これに、天保暦の置閏法を適用して得られた旧暦を併記するカレンダーが流通している。