大橋敏雄

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大橋敏雄(おおはし としお、1925年(大正14年)11月3日 - 2017年(平成29年)1月31日)は、日本政治家

  • 国(日本政府)から勲章の旭日重光章を受章した。
  • のちに、創価学会に批判的な立場となり、創価学会への批判活動を行っていた。

経歴[編集]

  • 1962年(昭和37年)に福岡県議会議員選挙に「公明政治連盟」の公認候補で立候補し初当選し、福岡県議会議員となる。
  • 1967年(昭和42年)1月に、衆議院総選挙に公明党から立候補し、衆議院議員に初当選(以後、連続8回当選)した。
  • 1978年(昭和53年)12月に、国会衆議院科学技術振興対策特別委員長に就任した。
  • 公明党内では福岡県本部長、国会対策副委員長、労働部会長などの役職を務めた。
  • 1990年(平成2年)2月に衆議院総選挙を機に政界引退した。公明党は後継者として東順治を擁立した。

創価学会に批判的な立場となる[編集]

  • 1988年(昭和63年)5月に公明党の現職の国会議員ながら雑誌文藝春秋』において「池田大作への宣戦布告」という論文を発表した。これは池田大作(名誉会長)による公明党創価学会への影響力の強さを批判した。公明党は大橋敏雄の批判文書を正面から取り上げることは避けた上で、かなり以前の不明瞭な政治献金問題と女性問題を理由に大橋敏雄を公明党から除名(処分)とした。
  • 国会議員を辞職後は、藤原行正(公明党の元東京都議会議員)らと創価学会への批判活動を行なった。大橋敏雄の行動に対して藤原行正(公明党の元東京都議会議員)が同調したという報道も一部であった。また、大橋敏雄が国会議員に在職中に、藤原行正(公明党の元東京都議会議員)と行動を共に創価学会への批判活動を行なった。その後、竹入義勝(元公明党委員長、元衆議院議員)も創価学会に批判的な立場となり公明党除名された。

著書[編集]

『吹けば飛ぶ男の奮戦記』 人間の科学社。