大橋敏雄
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大橋敏雄(おおはし としお、1925年(大正14年)11月3日 - 2017年(平成29年)1月31日)は、日本の政治家。
- 国(日本政府)から勲章の旭日重光章を受章した。
- のちに、創価学会に批判的な立場となり、創価学会への批判活動を行っていた。
経歴[編集]
- 1940年(昭和15年)に福岡市立城西高等小学校(現在の福岡市立城西中学校)卒業。中学校卒業後は佐世保海軍工廠、土浦海軍航空隊に入隊した。戦後は、運送会社を経営した後、西日本相互銀行(現在の西日本シティー銀行)に就職したが、その後、創価学会に入会し、創価学会の機関紙の聖教新聞社の業務部に勤務した。
- 1962年(昭和37年)に福岡県議会議員選挙に「公明政治連盟」の公認候補で立候補し初当選し、福岡県議会議員となる。
- 公明党内では福岡県本部長、国会対策副委員長、労働部会長などの役職を務めた。
創価学会に批判的な立場となる[編集]
- 1988年(昭和63年)5月に公明党の現職の国会議員ながら雑誌『文藝春秋』において「池田大作への宣戦布告」という論文を発表した。これは池田大作(名誉会長)による公明党と創価学会への影響力の強さを批判した。公明党は大橋敏雄の批判文書を正面から取り上げることは避けた上で、かなり以前の不明瞭な政治献金問題と女性問題を理由に大橋敏雄を公明党から除名(処分)とした。
- 国会議員を辞職後は、藤原行正(公明党の元東京都議会議員)らと創価学会への批判活動を行なった。大橋敏雄の行動に対して藤原行正(公明党の元東京都議会議員)が同調したという報道も一部であった。また、大橋敏雄が国会議員に在職中に、藤原行正(公明党の元東京都議会議員)と行動を共に創価学会への批判活動を行なった。その後、竹入義勝(元公明党委員長、元衆議院議員)も創価学会に批判的な立場となり公明党を除名された。
著書[編集]
『吹けば飛ぶ男の奮戦記』 人間の科学社。