大垣市墨俣歴史資料館

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

大垣市墨俣歴史資料館(おおがきしすのまたれきししりょうかん)とは、岐阜県大垣市墨俣町墨俣1742-1にある資料館である。織田信長が当時は木下藤吉郎と名乗っていた豊臣秀吉美濃攻略のために築かせた一夜城址にある資料館である。

概要[編集]

永禄3年(1560年)5月に桶狭間の戦い今川義元を討ち取って勢いに乗る織田信長は、家臣の木下藤吉郎に命じて美濃攻略のために墨俣に城を築くように命じたという。しかし墨俣は斎藤龍興の居城・稲葉山城の近くにあるため龍興がやすやすと許すわけはなく、そこで藤吉郎は一夜のうちに櫓を建てるなどして城のように見せかけ、驚いた斎藤軍は敗走し、以後、ここを足場にして信長は美濃平定に着手し、永禄10年(1567年)に美濃を平定した。

現在は城址公園に4層6階建ての天守閣を模した歴史資料館が建っている。

当時の墨俣の地理[編集]

当時、木曽川は、現在とは違い墨俣付近で長良川と合流する流路だった。それ故に墨俣が尾張国至近の要害の地となり得たのである。木曽川は、1586年に流路が変わって、尾張国の葉栗、中島、海西の3郡が木曽川で二分し、ほぼ現在の流路となった。この時、秀吉[注 1]は木曽川西岸を美濃国に編入する裁定を行い、墨俣も濃尾国境の要害の地から長良川の流路の中間地に変化した。

[編集]

  1. 関白就任後のことである。

外部リンク[編集]