吉冨勝

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吉冨 勝(よしとみ まさる、1932年4月5日 - 2020年6月21日)は、エコノミスト[1]経済産業研究所名誉顧問。

経歴[編集]

日本統治下の朝鮮光州生まれ[2]長崎県北松浦郡出身[3]。1957年東京大学教養学部教養学科(国際関係論)卒。1962年東京大学大学院経済学研究科博士課程修了、経済企画庁に入庁[4]。1965年「アメリカの大恐慌 : 株式ブームの構造的背景との関連で : 一九二九年恐慌の原因をめぐる諸学説とその検討」で経済学博士(東京大学)[5]。1977年『現代日本経済論』(東洋経済新報社)で第20回日経・経済図書文化賞を受賞[6]。1984年経済協力開発機構(OECD)に出向[1]、一般経済局長[4]。1987年日本に帰国し[1]、経済企画庁経済研究所長。1991年経済企画庁調整局長[4]。1992年経済企画庁を調整局長で退官[2]長銀総合研究所副理事長[4]。1999年1月アジア開発銀行研究所所長[2]。2004年経済産業研究所第2代所長兼CRO(2007年4月まで)[4][7]

官庁エコノミストの代表的存在[8]相原茂の門下生[9]宇野派出身で[10]鈴木鴻一郎編『信用論研究』(法政大学出版局、1961年)や大内秀明桜井毅山口重克編『マルクス経済学の現状と展望』(東洋経済新報社、1978年)等に寄稿している。

2020年6月21日、肺炎のため東京都内の病院で死去、88歳[11]

職歴[編集]

著書[編集]

単著[編集]

  • 『アメリカの大恐慌』日本評論社、1965年
  • 『現代日本経済論――世界経済の変貌と日本』東洋経済新報社、1977年
  • 『日本経済混迷克服の条件――「移行期」の解明』東洋経済新報社、1978年
  • 『日本経済――世界経済の新たな危機と日本』東洋経済新報社、1981年
  • 『レーガン政策下の日本経済』東洋経済新報社、1984年
  • 『日本経済の真実――通説を超えて』東洋経済新報社、1998年
  • 『アジア経済の真実――奇蹟、危機、制度の進化』東洋経済新報社、2003年

共著[編集]

  • 『八〇年代の日本経済』富塚文太郎、小林進、篠塚英子、中村政雄、並木信義、唯是康彦、日下公人、河野光雄、深海博明共著、三修社(読売文化セミナー叢書)、1980年
  • Post-Crisis Development Paradigms in Asia (co-authored with staff of the ADB Institute), 2003

編著[編集]

  • 『玉野井芳郎著作集 第1巻 経済学の遺産』玉野井芳郎著、竹内靖雄共編、学陽書房、1990年

脚注[編集]

  1. a b c 吉冨勝(よしとみ まさる)とは コトバンク
  2. a b c 第7回アジアの未来 日本経済新聞社
  3. 『日本の官庁――その人と組織 1989年版 大蔵省・経済企画庁』政策時報社、1989年
  4. a b c d e f g 吉冨 勝 RIETI
  5. CiNii 博士論文 - アメリカの大恐慌 : 株式ブームの構造的背景との関連で : 一九二九年恐慌の原因をめぐる諸学説とその検討
  6. 日経・経済図書文化賞 公益社団法人日本経済研究センター
  7. 吉冨勝元所長の御逝去を悼む RIETI
  8. 吉冨 勝 | 人名事典 | お楽しみ PHP研究所
  9. 伊藤誠『『資本論』と現代世界――マルクス理論家の追憶から』青土社、2023年、24頁
  10. 稲葉振一郎のツイート
  11. 吉冨勝氏が死去 元経済産業研究所所長 日本経済新聞、2020年6月26日
  12. 吉冨勝|プロフィール HMV&BOOKS online
  13. a b c 難航するWTO新ラウンドの打開に向けて-多角的通商体制の基本課題と我が国の進路 RIETI 経済産業研究所
  14. 吉冨勝『日本経済――世界経済の新たな危機と日本』東洋経済新報社、1981年
  15. 吉冨勝『レーガン政策下の日本経済』東洋経済新報社、1984年

外部リンク[編集]