古河城

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古河城(こがじょう)とは、現在の茨城県古河市中央町に存在した日本である。

概要[編集]

古河市の西端に存在した城で、鎌倉時代初期に下河辺行平が築城したと言われている。この城は北側に渡良瀬川思川の遊水地をはじめとして沼沢が多く、西側は蛇行して流れる渡良瀬川に臨んだ水域の構えで、いわゆる天然の要害と言えた。

室町時代中期の康正元年(1455年)、鎌倉公方足利成氏関東管領山内上杉氏と対立して享徳の乱を引き起こすと、成氏は鎌倉を放棄して古河に拠り、以後は鎌倉公方から古河公方と称した。そのため、古河城は「古河御所」「古河御陣」と言われる場合がある。

以後、関東は成氏と関東管領の山内上杉家、さらに武蔵国扇谷上杉家を巻き込んで騒乱の舞台となる。成氏の時代は結城氏宇都宮氏小山氏など北関東の諸大名が馳せ参じたので、その勢いは強大だった。しかしこの騒乱の中で南関東から興った後北条氏の勢力が拡大。古河公方家は成氏の死後は内紛が相次いで衰退し、天正11年(1583年)に成氏から5代目の足利義氏の時に後継する男子無く、遂に古河公方家は断絶した。

江戸時代になると、江戸幕府は北関東における古河の重要性から、この地に小笠原秀政など譜代大名を相次いで入れて守りを固めた。宝暦12年(1762年)に土井利里が8万石で入城するまで多くの譜代大名が交代し、以後は土井氏明治時代まで古河城主を務めている。

現在、城跡は渡良瀬川の改修工事によって河川敷となっており、遺構はほとんど残されていない。古河市中央町の福法寺寛永10年(1633年)に建てられた城門が移建されており、古河城の往時を現在に伝える唯一のものとなっている。

アクセス[編集]