島崎美代子
島崎 美代子(しまざき みよこ、1927年 - )は、マルクス経済学者。元・日本福祉大学経済学部教授。専攻は戦後アメリカ・日本資本主義論[1]、経済政策論[2]。旧姓は石本。夫は社会学者の島崎稔。
経歴[編集]
東京生まれ[3]。父は地震学者の石本巳四雄[4]、母はコーラス指導者の石本美佐保(医師の高安道成と歌人の高安やす子の娘。歌人の高安国世の姉)。兄は生化学者の石本真。1949年東京女子医学専門学校卒業。1953年東京大学経済学部経済学科卒業[3]。山田盛太郎のゼミに所属[5]。住谷一彦によると、1947年頃、東大の「社研」のメンバーだった[6]。吉澤芳樹によると、東大入学前から内田義彦が自宅でやっていた勉強会のメンバーで、内田の助手役もした。内田と東大音感合唱研究会の指導もした[7]。
東大卒業後、高崎市立短期大学助手、講師[3]。高崎市立短期大学で「『資本論』研究会」に所属。メンバーにはのちに伴侶となる島崎稔もいた[8]。長幸男によると、内田義彦らが山田盛太郎を学長にして高崎市立短期大学を4年制の大学にしようとしたが、学内騒動になってそのプランが潰れ、東京から来ていた大石眞三郎、内藤則邦、松浦高嶺、島崎稔、石本美代子(島崎美代子)、高橋洸、長幸男らは東京に引き上げたという[9]。
1966年女子栄養大学教授[3]。中央大学商学部講師も兼任[10]。1979年日本福祉大学経済学部教授[3]。1989年中央大学社会科学研究所研究チーム「現代都市の構造分析」客員研究員[11]。1990年の日本福祉大学国際交流センター開設に準備委員として携わり、センター長を務めた[12][13]。同大学知多半島総合研究所地域・産業部主任も務めた[14]。1997年日本福祉大学停年退職、同大学福祉社会開発研究所客員研究所員[3]。同大学知多半島総合研究所客員研究員も務めた[15]。
人物[編集]
山田盛太郎の門下生[16]。1963年に山田が土地制度史学会のメンバーを母体に発足させた「再生産構造研究会」に参加した[5]。中村静治は自著『戦後日本の技術革新』(大月書店、1979年)について、「マルクス学派では南克巳氏や島崎美代子氏に代表される「山田(盛太郎)シューレ」といいますか、「土地制度史学派」といいますか、ともかくこの学会に属する方々の戦後日本資本主義分析をかなり意識し、問題だというところを浮き出しておくということです」と述べている[17]。北村貞夫は山田の継承者について、「山田教授の見解を忠実に継承しようとするもので、南克巳教授のほか、島崎美代子・鍋島力也・二瓶敏らの諸氏が、これに属するであろう」と述べている[18]。
杉原四郎、尾上久雄、置塩信雄編『経済学基礎セミナー 2 現代の経済』(有斐閣、1970年、新版1976年)、「現代の労働組合運動」編集委員会編『現代の労働組合運動 第2集 右翼日和見主義の克服と統一の展望』(大月書店、1972年)、富塚良三編『経済分析入門――理論・学史・経済史』(有斐閣双書、1972年)、島崎稔編『現代日本の都市と農村』(大月書店、1978年)、島恭彦、宇高基輔、大橋隆憲、宇佐美誠次郎編『新マルクス経済学講座 第5巻 戦後日本資本主義の構造』(有斐閣、1976年)、講座今日の日本資本主義編集委員会編『講座今日の日本資本主義 第2巻 日本資本主義の展開過程』(大月書店、1981年)などに執筆。
著書[編集]
共著[編集]
- 『ボルゴの民――イタリアの都市と農村』(島崎稔共著、中央大学出版部[UL双書]、1973年)
- 『島崎稔・美代子著作集 第1巻 戦後日本資本主義分析』(島崎稔共著、安原茂編、時潮社、1994年)
- 『島崎稔・美代子著作集(全10巻・別巻)』(島崎稔共著、礼文出版、2004-2005年)
- 「第1巻 戦後日本資本主義分析」(安原茂編、山之内靖解説、2005年)
- 「第2巻 日本農村社会の構造と論理」(蓮見音彦編、細谷昂解説、2004年)
- 「第3巻 戦後日本の農村支配機構」(安原茂編、吉沢四郎解説、2004年)
- 「第4巻 戦後日本の都市分析」(倉沢進編、吉原直樹解説、2004年)
- 「第5巻 社会科学としての社会調査」(川合隆男編、川崎嘉元解説、2004年)
- 「第6巻 安中調査と鉱害裁判」(安原茂編・解説、鎌田とし子解説)
- 「第7巻 ダム建設と地域社会」(高橋明善編、皆川勇一解説、2004年)
- 「第8巻 都市調査と構造分析」(大野晃編、宮川実、大澤善信解説、2004年)
- 「第9巻 ボルゴの民――イタリアの都市と農村」(古城利明編、丸山優解説、2004年)
- 「第10巻 能楽社会の構造」(倉沢進編・解説、2004年)
- 「別巻 小論文・時評」(安原茂編、橋本和孝解説、2005年)
編著[編集]
- 『モンゴルの家族とコミュニティ開発』(長沢孝司共編、日本経済評論社、1999年)
- 『モンゴルのストリートチルドレン――市場経済化の嵐を生きる家族と子どもたち』(長沢孝司、今岡良子、モンゴル国立教育大学SW学科共編著、朱鷺書房、2007年)
- 『母・石本美佐保の世界――ピアノ・コーラス・幼稚園』(編著、島崎美代子、2011年)
出典[編集]
- ↑ 島恭彦、宇高基輔、大橋隆憲、宇佐美誠次郎編『新マルクス経済学講座 第5巻 戦後日本資本主義の構造』有斐閣、1976年
- ↑ 日本福祉大学社会科学研究所編『続 社会福祉の明日を』ミネルヴァ書房、1985年
- ↑ a b c d e f 島崎稔・美代子著作集〈第1巻〉戦後日本資本主義分析 紀伊國屋書店
- ↑ 島崎稔、島崎美代子『ボルゴの民――イタリアの都市と農村』中央大学出版部、1973年、247頁
- ↑ a b 二瓶敏、矢吹満男、泉武夫「二瓶敏教授に聞く――戦後日本資本主義論争の回顧と展望(PDF)」『専修大学社会科学研究所月報』No.456、2001年6月
- ↑ 杉山清「研究者への軌跡の一省察:法政大学社会学部から同大学院までの経緯の寸描(PDF)」『名城論叢』第19巻第4号、2019年3月
- ↑ 吉澤芳樹「聞き書き 戦後50余年と一社会科学者――模索と探究の跡」『専修大学社会科学研究所月報』No.415・416、1998年2月
- ↑ 嶋根克己「転換期の社会科学者――島崎稔の業績についての知識社会学的研究の試み」『中央大学社会科学研究所研究報告』第14号、1994年6月
- ↑ 長幸男「内田義彦と日本の経済思想像」『専修大学社会科学研究所月報』No.333、1991年3月
- ↑ 杉原四郎、尾上久雄、置塩信雄編『経済学基礎セミナー 2 現代の経済』有斐閣、1970年、新版1976年
- ↑ 吉沢四郎「序」『中央大学社会科学研究所研究報告』第14号、1994年6月
- ↑ 松村崇夫、島崎美代子「特集③旅と文化の手ごたえ」『NFU』vol.43、1990年6月
- ↑ 島崎美代子「メコン川開発と流域諸地域の社会・経済開発」『世界経営協議会会報』第76号、1994年3月
- ↑ 島崎美代子「知多半島総合研究所初代所長 足立省三をおくる 急逝を悼む」『知多半島の歴史と現在』第3号、1991年10月
- ↑ 島崎美代子「21世紀ヴィジョンとコミュニティ開発――モンゴル国「移行期」における最近の動向について」『ロシア・ユーラシア経済調査資料』No.815、2000年5月
- ↑ 小林賢齊、保志恂、南克巳、鍋島力也、二瓶剛男編『山田盛太郎著作集 第1巻』岩波書店、1983年、ⅱ頁
- ↑ 中村静治『現代資本主義論争――80年代の経済学のために』青木書店、1981年、37-38頁
- ↑ 北村貞夫「戦後再生産構造分析の基本視角」『龍谷大学経済経営論集』第18巻第3号、1978年12月