十勝沖地震

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十勝沖地震(とかちおきじしん)は、北海道の十勝沖で発生する地震の総称である。十勝地方の沖合では、太平洋プレートが日本列島の下に沈み込んでいるため、逆断層型の海溝型地震が繰り返し発生している。記録に残る過去の十勝沖地震の中では、1952年1968年2003年に起きた3つの大地震が特に有名。

1952年の地震[編集]

1952年3月4日に釧路沖(北緯41°42′・東経144°09′)で発生した地震。規模(マグニチュード)はM8.2。津波を伴い、北海道南部・東北北部に被害を出した。被害の概要は、死者・行方不明者33人、負傷者287人、家屋全壊815棟、半壊1324棟。

1968年の地震[編集]

1968年5月16日に青森県東方沖(北緯40°44′・東経143°35′)で発生した地震。規模はM7.9で、関東大地震とほぼ同じであった。この地震は青森県を中心に甚大な被害をもたらし、津波のほかに山崩れがけ崩れ地すべりなども発生した。函館大学やむつ市役所庁舎の倒壊など、地震に強いと思われていた鉄筋コンクリート造建築の被害が目立った。南部鉄道もこの時に被災し、そのまま廃止となった。被害の概要は、死者52人、負傷者330人、家屋の全壊673棟、半壊3004棟。死者のうち48人は、被害が最も大きかった青森県での犠牲者であった。

震源地は青森県東方沖(三陸沖)であるにもかかわらず、気象庁が本地震を「1968年十勝沖地震」と命名した理由は、速報段階では北海道十勝沖が震源であると推定されたためである。しかしその後の精査の結果、震源は十勝沖ではなく青森県東方沖であることがわかった。ただし、一旦命名してしまったものを後から変更するとややこしくなるため、より適切な名称である「1968年青森県東方沖地震」ないし「1968年三陸沖地震」に改名されることはなかった。この名前のせいで青森県よりも北海道の被害の方が大きいと誤解されたり、地震で本州と北海道が分断したりしたことで、青森県への支援物資の行き届きが悪くなったといわれている。

2003年の地震[編集]

2003年9月26日に釧路沖(北緯41°46.7′・東経144°04.7′)で発生した地震。規模はM8.0で、1952年の十勝沖地震とほぼ同じ場所で発生した。北海道南部の広範囲を最大震度6弱の烈震が襲い、本震から約1時間20分後に起きたM7.1の最大余震でも再び震度6弱を記録した。北海道から東北地方の太平洋沿岸で最大約4メートルの津波を観測。震度6弱の揺れに見舞われた道内に被害が集中し、苫小牧市では石油タンクのスロッシングによる火災も発生した。被害の概要は、死者1人、行方不明者1人、負傷者849人、家屋の全壊116棟、半壊368棟。

震度 都道府県 市区町村
6弱 北海道 新冠町 静内町 浦河町 鹿追町 幕別町 豊頃町 忠類村 釧路町 厚岸町
5強 北海道 厚真町 足寄町 帯広市 本別町 更別村 広尾町 弟子屈町 釧路市 音別町 別海町
5弱 北海道 新篠津村 栗沢町 南幌町 長沼町 栗山町 中富良野町 清里町 北見市 訓子府町 苫小牧市 上士幌町 音更町 清水町 芽室町