北条直重
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北条 直重(ほうじょう なおしげ、生没年不詳)は、戦国時代の後北条氏一族・武将。北条氏繁の3男。母は七曲殿。北条綱成の孫。兄に氏舜・氏勝。弟に千葉直胤、繁広がいる。
経歴[編集]
天正11年(1583年)5月12日付で兄の氏勝と連署して、伊豆下田の長楽寺に対して寺領安堵を行っているが、ここで新八郎直重と連署している[1]。名の直重は北条氏直の偏諱を受けて直重と名乗っている[1][2]。
天正18年(1590年)の小田原征伐の際、氏勝に従って行動を共にしたとされている(『異本小田原記』)。このことから山中城に氏勝と共に籠城し、山中城落城後は玉縄城に籠城して後に降伏したものと思われる。その後の動向は不明で、没年や法名については不明である[2]。
なお、名は氏成(うじしげ)とも言われているが、良質の史料で確認できるのは直重である[2]。