七曲殿 (北条氏繁正室)
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七曲殿(ななまがりどの、生没年不詳)は、戦国時代の女性。名は不詳。法号は新光院殿窓泰太空大姉。玉縄城の大手口七曲坂付近に居住したため、七曲殿と呼ばれた[1]。
略歴[編集]
父は相模の戦国大名・北条氏康で長女と見られる。氏康の義弟である北条綱成の長男・氏繁に嫁いだ[1]。なお、氏繁とはいとこ同士である。
永禄2年(1559年)に次男の氏勝を生んでいるため、それより数年前に婚姻したと見られている[1]。氏繁との間には氏勝のほか、直重、繁広らを生んでいる(『今川家瀬名家記』)。ただし、繁広に関しては年齢的に彼女の所生かどうかは疑われている。
没年は不詳だが、天正12年(1584年)から天正14年(1586年)8月にかけて朱印状を発給しており[1]、夫の氏繁より長命を保ったようである。没年や没月は不明だが、忌日は18日であることだけはわかっている[1]。