北条氏舜
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北条 氏舜(ほうじょう うじとし/うじきよ、生没年不詳)は、戦国時代の武将。北条氏繁の長男。母は北条氏康の娘・七曲殿とされている。官途名は左衛門大夫。北条綱成の孫。
概要[編集]
天正6年(1578年)5月に父・氏繁が病気に倒れたため、父の代理として結城晴朝や山川氏を攻め、さらにその後詰としてやって来た佐竹氏の援軍と絹川で対陣した。父が同年に病死したため、家督を相続する。しかし天正8年(1580年)8月を最後に史料で確認できないため、この前後に死去したものと推測される。法名などは不詳[1]。
家督相続と同時に氏繁が担当していた岩槻城代や飯沼城代の地位も継承しているが、岩槻城代については北条氏政の3男・太田源五郎が岩槻太田家の名跡を継承するとその所領の支配にあたっており、権限から外されている。また、飯沼城代についても氏繁の死去による隙をついて佐竹義重により奪われる失態を演じており、氏政から権限の剥奪を受けている。これは氏舜が綱成や氏繁と異なってあまり優れてなかったためと、北条宗家と次第に血縁的に疎遠になりつつあったことが役割を奪われた原因ではないかと見られている[1][2]。
家督は弟の氏勝が継承した。