勝常寺

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勝常寺
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所在地福島県河沼郡湯川村勝常代舞1764
山号瑠璃光山
宗派真言宗豊山派
本尊薬師如来
創建年伝・弘仁年間(810年 - 824年
開基伝・徳一
別称会津中央薬師堂
札所等会津三十三観音10番

勝常寺(しょうじょうじ)は、福島県河沼郡湯川村にある新義真言宗豊山派寺院会津中央薬師堂とも称される。山号は瑠璃光山。本尊は薬師如来

概要[編集]

会津若松市から越後街道を北上したところにある寺院で、会津中央薬師とも称されるが、その由来は会津の仏教文化の中心地となったためである。

平安時代初期の弘仁元年(810年)、徳一が開基した。大同年間(806年から810年)に弘法大師空海がこの地方を訪れて薬師如来を刻み、会津の5か所にこれを安置して国内の鎮めを祈念しようとしたが、空海はその業半ばにして京都に帰還し、徳一が後を継いで完成させたといわれる。

創建当時は100余りの末寺を有し、七堂伽藍を備え、数多くの堂坊が建ち並ぶ大寺院だったという。ところが戦国時代の天正年間(1573年から1592年)に、兵火にあって本堂を除く建物のほとんどが焼失したという。現在は中門・薬師堂・本坊(客殿)・庫裏などがあり、国宝の木造薬師如来坐像及び両脇侍像ほか、30体余りの仏像を安置し、9体は国の重要文化財に指定されている。奈良県京都府など、かつての都であり仏教文化が繫栄した地域ならともかく、東北のような僻地で一つの寺院にこれだけの古仏が保存されている例は珍しいといえる。

本尊の薬師如来は、高さ1.4メートルの堂々たる風格を帯びた坐像で、制作当時のままの光背を備えている。光背は宝相華唐草の間に飛天を配した秀作である。薬師堂もまた、国指定の重要文化財の建造物で、桁行5間、梁間5間、単層銅板葺き屋根、4柱造である。

内部は内、外の両陣に分かれ、内陣は3間4方で、木造薬師如来坐像とその両脇侍像、地蔵菩薩立像、聖観音立像、四天王立像などが安置されていたという。現在はこれらの諸仏は新しく造られた重要文化財収蔵庫に収められているが、いずれも奈良時代天平文化の作風をとどめる弘仁年間の作である。

その他に空海の筆と伝えられる如意輪観音、不動尊画像、金胎両部曼茶羅図などがある。

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